02.5+α

何もしたくない。
お腹は空いてるけど、食べたくない。食べてもあの光景を思い出して吐くだけだ。
帰ってきてから何度も手を洗った。あの感覚を拭い去りたかった。でも出来なかった。
俺の右手は禁断の味を知ってしまった。一度知ったが最期、二度と忘れることは出来ない。
『あぁ、これが人を殺すってことなのか』
たった一瞬のことなのに、心の中で一生涯毒を吐き続ける。これが殺した事への代償なのだろう。

ふと顔をあげる。周りはもう真っ暗になっていた。あれから何時間こうしていたんだろう。
暗闇の中での終わりのない自問自答。何故殺したのか。あの右腕の力は何だったのか。
分からない、わからない。
あの声は何だ?
ワカラナイ。

喉が渇いた。水なら大丈夫だろう。台所でコップに水を入れる。

スッ…

外の廊下を人が通ったのだろうか、人影が窓に映る。
あれ、おかしいな。2階には俺しか住んでいないはず……

コンコン!!

『?!』
ドアに向けて身構える。
夜に家を訪ねて来る者などいない。だとしたら、俺を捕まえに来た者に違いない。
『人生の終わりなんて呆気ないものなんだな』
などと思っていると、
「あれぇ、お留守かなぁ」
なんて間の抜けた声がした。
「う〜ん、確かにここだよねぇ。うん、合ってる。父さまの地図が間違えてる訳ないし、お留守なら上がって待ってろって言ってたし……良いよね☆」
あの言葉の間はヤバイ。
直感的にそう感じた。

ドガッッ!! バゴッ!! バキッ!! バラバラ。 カランコロン。
次の瞬間雷鳴が轟き、ついさっきまでドアとして機能していた合板が玄関に散らばっていた。
「鍵だけ壊そうとしたのにな〜。まぁ、開いたから良いってことで……ってあれぇ?」
ツカツカツカ。声の主が家に不法侵入するなり土足で近づいてくる。
「なんだぁ、居るなら開けてくれれば良かったのに」
と目の前の不法侵入者は、アレアレとドア(だったもの)を指差している。
青みがかった瞳、ハネているが艶のある髪、整った顔立ち、着ているブレザーには何処かで見たことのある名門校のエンブレム。
才色兼備、そんな言葉がお似合いの少女がそこに立っていた。
何が何だか分からない。この子が警察のはずはない。まったく面識もない。かといって、部屋を間違えた訳でもない。だったら一体………。
「じゃあ行こうか、私のお・む・こ・さ・ん」
頭の中が真っ白になった。『えっ……え……』
まともな言葉が出て来ない。
今、目の前の子は何を言ったんだ。
オムコサンて何だ?
「もしも〜し、お〜い!!……あぁ駄目だこりゃ、完全にテンパってる。まぁ丁度良いや、手間省けたし。美並、洞戸、とりあえず運び出しちゃって」
遠くから声が聞こえる。
視界に別の2人が入り込む。そのまま後ろに回り込まれ、強靭な腕で両腕をホールドされる。
さすがに我に帰る。
『な…何すんだあんた達!!』
「あっ、気付いた。とりあえずこれでも嗅いどいて」
ポケットから取り出した布を顔に押し当てられる。
『もがぁっ、もがぁ』
これってアレだよな。サスペンスとかでよく…ある……。
「おやすみ〜☆じゃあ行こうか」

02

『……!?』
目に映るのは自分の部屋。
右腕を見る。ただの人間の腕。
『ユメ…か……。』
目が覚めたことを心から嬉しく思う。しかし、なんて夢を見たんだろう。あんなに生々しく、残酷で、まるで現実に起こったような夢は二度と見たくない。
気分を晴らす為に、顔を洗いに行った。洗面所に入る時、鏡に映った右眼が緑色に見えたのは気のせいだろうか。

「キーンコーンカーンコーン」授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。学級委員が号令を掛け、教師が立ち去っていく。4時間目の授業が終わった。今日は水曜日なので、ホームルームが終われば放課後だ。
担任が入ってきた。たいした連絡もなく、5分程で終わった。学級委員が号令を掛ける。これで晴れて自由の身だ。さあ、早く家に帰ろう。
「武儀、話があるから職員室まで来なさい」声の主は担任だ。
〔何故邪魔をする〕頭の隅でそんなことを思った。
職員室に着くと、隣にある生徒指導室に入るように促された。俺が何をした。生徒指導室はプライバシーを守る為に防音になっている。冷暖房も完備されており、長時間の取調べも可能だ。学食に行けばカツ丼もある。実際に受けたことのあるやつが何人かいるらしい。
椅子に座るなり担任に言われた。
「武儀、お前最近夜の町で遊んでるだろ」
はっ、何を言っているんだ。
『いいえ、そんなことしてませんよ』
「近所の人から連絡がきてるんだ。夜遅くに出掛けるのを見たって。それでもしてないっていうのか」
そんなことはしてない……知らない……解らない……
「黙ってないで何とか言ったらどうなんだ」
〔……黙れ……何をしようが人の勝手だろ……邪魔をするなよ……〕
『シテ…ナイ』
「嘘をつくな。正直に話せば処分を軽く…」
『ダマ…レ、ダマレヨ』〔…それでいい…〕
「何だと。」
『オマエ、ジャマダヨ』
「いい加減にしろ」担任が殴ってきた。しかし、彼が殴ろうとしたその瞬間、彼の身体は宙に浮いていた。

〔……黙らせようか、なぁ叉來……〕

「えっ…」それが彼の最期の言葉だった。
グシャッ…。
鈍い音がした。手に生暖かいモノが付いている。何が起こったんだろう。目を開けてみる。辺りにはトマトケチャップが自分の右手を中心にして、放射状に飛び散っている。嗅ぐだけで吐き気のする臭い。真横には彼だった物が転がっている。
『なんだ…これ』
周りを見渡す。案の定誰もいない。
『俺…が』
早くここから逃げ出したい。なのに足が動いてくれない。異常なまでに息が荒くなる。部屋に充満する体液の臭いに酔っているかのように頭がクラクラする。部屋の隅に掛けられた鏡に満面の笑みを浮かべた男が映っている。左手で頬を触った。男は右手で頬を触った。なんでこんな状況なのに笑ってるんだ。全然楽しくなんかないのに。
〔嘘つけ。こんなに楽しくて気持ち良いことなんて他にないだろ〕
『早く逃げなきゃ…』
腕だけで這いながらドアに向かう。誰かに見られたら終わりだ。
どうにかドアまで辿り着いた。ドアノブに掴まりながら、やっとのことで立ち上がる。自分の後ろにはあの光景が広がっている。
二度と見たくない。
ドアを少し開けて、外に人が居ないか確認する。幸運にも人気はない。
教室に人目を避けるようにして荷物を取りに戻った。
『早く……早く』
その後家に着くまで走り続けた。

01.5

ユメを見た……。


真夜中。
とても狭い部屋で眼を覚ます。
曇っているせいか、光りがない。此処は何処だろう。
何か懐かしい感じがする。
布団から立ち上がる。
隣にも部屋があるようだ。
さっきから耳障りな声や鈍い音がする。
どうやらこれのせいで起こされたようだ。
眠りたい。
うるさいから眠れない。
静かにして欲しいから扉を開けて怒鳴ろうとした。
開けられたけど声は出なかった。目の前には黒い人が一人、床には朱い人が一人。
黒い人は存在してはいけない人。どことなくオトウサンに似ている気がするけど今は関係ない。
ボクノヤルコトハヒトツ。
右腕に力を籠める。
腕の姿が変わる。
ボクニハコレガアル。
オカアサンにはないモノ。
オトウサンから継いだモノ。
黒い人は生命体としては優れているけれど、〇〇〇としてはボクの方が上だ。
黒い人がボクの頭に向けて手を伸ばしてくる。
左手を地面につきながらしゃがんで避ける。
何も考える必要はない。
ただ〇〇〇としての本能に従えば良い。
そのまま右腕を伸ばす。
頭を掴み、地面に叩きつける。
黒い人が爆ぜた。
朱い絵の具だけを残して……。

01

何時からだろうか、ふと考えると何かが欠けてるような気がした。
昔からそれといって欲しい物など自分にはなかった。無駄な物など必要ない。だから一人暮らしの自分の部屋には必要最低限の物しか置いていない。前に友人が遊びに来た(というより押しかけてきた)ときに、塒とまで言われたほどだ。かといって、一度も不便に思ったことはない。生きていくのに必要な物以外の物など。それは、節約とかケチとかの類とは別のものなのだろう。「欠けている」と感じるのは、欲しいと感じるのとほぼ同じだ。自分以外の誰かがある物を持っていて、自分はそれを持っていないとする。そしてそれを欲しいと思う。この時点で、そのある物を自分に欠けている物と認識している。つまり同時に起こる訳で、片方だけが起こるということはない。表裏一体である。したがって自分は何かを欲しがっている。自分が無意識に欲しいと思っている物。それは無駄な物ではないのだろうか。ならそれは何なのだろう。
『朝…か』耳元で目覚まし時計が鳴っている。いつも通りに殴りつける。お陰であちこち凹んでしまっているが気にしない。重い身体を無理矢理起こす。身体が悲鳴をあげている。まるで眠った気がしない。顔を洗いに洗面所に向かう。バシャバシャ、バシャ、ズキン。水が染みた。『あっ、また。今日は無いとおもったんだけどな』鏡に写った顔の右の頬に2センチ程の傷があった。傷は殆ど塞がっている。あまり深くはないらしい。ここのところ朝起きる度に新たな傷が出来ている。昨日は肘、一昨日は手の甲に浅い傷が出来ていた。どれも全く身に覚えが無い。洗面所をあとにし、台所に向かう。足元に時計が転がっていた。ざっと8m。記録更新だ。時計の短針は7と8の間を指している。まだかなり余裕がある。ベーコンエッグにトーストという簡単な食事を取る。流石に2年も自炊していると3分で作れるようになる。食べ終わったら食洗機にポンッ……等とはいかない訳で、スポンジに洗剤を数滴垂らして皿とコップを洗う。これにて朝の家事終了。時計を見る。8時5分。素早く着替えて家を出る。
小走りで学校に向かう。学校までは徒歩20分の道のりだ。今日はちょっとギリギリ(というか毎日なのだが)になってしまった。11年前、両親が事故で他界した。その時の事は良く覚えていない。どんな事故だったのか、ましてや両親の顔さえ覚えていない始末だ。当時6歳だった自分は、身寄りも無かった為に孤児院に預けられた。聞いた話によると、両親はいわゆる駆け落ちをしたらしい。今更ながら考えてみれば、祖父母というものに会ったことがなかったのはその為だったのだろう。別に会いたいとも思わなかったから良いのだが。そして高校生になり、両親の遺産を元手に自立し、今に至る。振り返ってみれば、何て特盛な11年間だったんだろうと我ながら呆れてしまう。程なくして学校に着いた。8時26分。教室は2階なので間に合うだろう。
今日もいつもと同じ。何の変哲もない時間が終わった。「武儀!帰りゲーセン寄ってかねぇ」『悪いね、今日は鶏のモモ肉の特売があるんだ』「お前は主夫か。まぁ大変だろうけどさ、たまには息抜きもしないと駄目だぜ」などと言って、こちらに向かい敬礼をしてくる。まぁ向かうところは戦場に相違ないが…。女子がクスクス笑っている。これもいつものことだからもう慣れた。急いで宮代商店街の肉屋に向かう。
ピピーッ!!
突然けたたましい音が響いた。商店街の手前の路地裏の入口に人だかりが出来ている。見ると、手前に警察官が、奥にブルーシートが張られている。『何かあったんですか』近くにいた典型的な野次馬と思われるおばさんに聞いてみた。「殺人事件よ。なんでも頭が潰されちゃってるらしいわよ」『頭を……、恐いですね』「それも手で押し潰したみたいだっていうのよ」『手…?』「そう、手で。でも人間じゃ無理よねぇ」アレっ変だな。何か忘れてる気がする。砕けた骨。飛び散った血、肉。肉…?あっそうだ…。モモ肉。きっとそれだ。『すいません、用事思い出したんで。ありがとうございました』そう言ってその場を立ち去った。何故か分からないけど、これ以上此処にいてはいけない気がした。まだ頭の中にモヤモヤがあったから。きっと戻れなくなる。〔もう遅い。〕ふとそんな言葉が聞こえた気がした。
何とか最後の1パックを手に入れた。数秒の差で取り逃したおばさんに凄い顔で睨まれたが。遅いのが悪いのだ。タイムサービスに赴く度に弱肉強食という言葉を嫌というほど思い知らされる。今度の戦においては自分は強者にあたるのだが、いつ何時弱者になるかは分からない。今週の取組:白4黒1。タイムサービスはたいてい平日に行われるので最大数は5である。今週は見事な勝ち越しだ。しかしながらいつも勝ち越せるという訳ではない。現実はと〜っても厳しいのだ。うん。流石に黒5を味わったことはないが。まぁ黒5を出したが最後、我が家というか俺の家計が傾く。
帰りは遠回りをした。さっきの場所を通りたくなかった。通った瞬間に自分という存在が崩れ落ちる気がした。このセカイは脆い。そもそもセカイは概念的なモノであり、その中核は個人という人間の集合で成り立っている。個人の崩壊など容易に起こる。怒り、恐れ、憎しみ、嫉妬、それら全てが崩壊という結果の要因となり進行を促進する。ソンナモノで創られたセカイなど丈夫なはずがない。ジブンもこの世界を構成する要素の一つ。自身の存在を認めたが最後、逃れようのない滅亡に追い回される。それが早いか遅いかは、自らの選択次第。